ぽー&きぃ

peau.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2017年 12月 29日

浪江町給餌同行 【その2】


浪江町給餌同行 【その1】はこちら

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_21593889.jpg
▲2015年3月に完成した大平山霊園
大津波で流された請戸など被災地区のお墓もこちらに移されたようです。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_21595323.jpg
▲昨年春の被災地ツアー時の画像。請戸の慰霊の場になっていたのだと思います。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22003028.jpg
▲現在、この霊園の一画に移されて祀られています。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22004020.jpg
浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22004599.jpg
▲これだと、この先お墓をお参りする家族にずっと伝わりますね。
震災後の前を向いている気持ちも伝わってきます。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22005262.jpg
▲墓地を背にしてこの春慰霊碑が建てられました。
画像右上の建物は請戸小学校。
震災の日、児童たちが走って逃げたのがこの大平山だったようです。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22005862.jpg
▲海側には碑文が。

慰霊碑碑文

平成二十三年(西暦二〇一一)三月十一日
午後二時四十六分、福島・宮城・岩手を中心
に最大震度七の地震が発生した。この地震に
より家屋は倒壊し、道路は寸断された。その
約四十分後に浪江町沿岸に津波の第一波が到
達した。第二波が襲来した後、さらに高さ十
五mを超す大津波が町を襲った。住民にはこ
れまで大津波被災の記憶はなく、避難が遅れ
大津波に驚愕し、請戸・中浜・両竹・南棚塩
の集落は全てのみ込まれた。
 
 翌十二日には東京電力福島第一原子力発電
所の事故により、国から避難指示が発令され
たため、住民は避難を余儀なくされ、捜索や
救助を断念せざるをえなかった。この地震と
津波により住民百八十二名の尊い命が失わ
れた。私達は、災害は再び必ずやってくるこ
とを忘れてはならない。
 
 ここは太古の昔から人が住み、青い海と白
い砂浜の眺望できる所である。この地に、犠
牲者の御霊を慰めるとともに、先人が愛した
豊穣の大地と海を慈しみ、浪江町の復興を願
い、この碑を建立する。

平成二十九年三月十一日 建立者 浪江町

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22010350.jpg
▲墓地の側には亡くなった182名の名前が刻まれています。



お昼は浪江町仮設商業施設「まち・なみ・まるしぇ」で。
http://sosobureau.yumesoso.jp/archives/14785
この日は「カフェコスモス」のみの営業で浪江焼きそばはお休みで残念。
キノコパスタセットを注文したけれど、
お腹が空いてたからか、お喋りに夢中だったからか画像無しです。


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22594956.jpg
▲昼食後、給餌再開。 Iさんのポイント。フードは床下に。


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22010939.jpg
▲Hさんのポイント
この時、散歩中の住民の方が通りかかられて…

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_00254260.jpg
▲ぽこさん、早速声をかけてお話を伺いました。
震災時、この方(Sさん)は犬さんを同行避難されたそうです。

現在は災害復興住宅を借りておられるようですが、
そこは犬の飼育が認められておらず
避難指示解除後は自宅に連れ帰ってきたそうです。
その犬さんも数ヶ月前に亡くなったそうですが。

いつも給餌に同行していてぽこさんに感心します。
単に給餌だけでなく、地元に深い関心を寄せ
(なので常日頃からローカルニュースにも敏感。)
出会った人たちにもすぐに積極的に話しかけ
コミュニケーションを取られるのです^^


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22092433.jpg
▲震災前、浪江町で学習塾をされていたご夫婦が出版された本。
ペットと同行避難した浪江町の方が、絵本を出版!

この本をこの時のSさんにぽこさんが差し上げました。
Sさんもこの学習塾のことをよくご存知のようでした。

そして、私も今回、一冊戴きました^^
あの震災時の緊迫感、郡山の私達のそれとでは
比較にならないほどの大変なものであったでしょうが、
読んでいて、思わずあの時の状況が蘇り、胸がざわつきました。


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_08322179.jpg
▲Hさんのポイント
現在、個人で多くの保護猫さんを抱えておられる
みやさん宅にいる猫の「ひゅうま」は、
ここでHさんの一時帰宅の折に保護されたようです。


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22012889.jpg
▲大堀小学校のポイント
カメラマン太田康介さん(うちのとらまる)の給餌器です。
フードは全然減っていませんでした。
なので監視カメラを掛けているところです。
ぽこさん、身軽にブロックの上に乗り作業してます。
ほんとにこの足元を気にしない身軽さ&器用さにも感心してしまう…

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22013338.jpg
▲町営住宅に設置されてる太田式給餌器。
野生動物が給餌器に入り込まぬよう
入口の大きさをギリギリまで小さくされて
苦心されてるのがよく伝わります。

浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22013851.jpg
▲これで、この日の給餌を全て終えました。


帰りは国道6号線(帰還困難区域は4輪は通行可、2輪と歩行者は不可)を通って富岡をまわりました。
浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22014215.jpg
浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22014753.jpg
▲JR富岡駅
昨年春の被災地ツアー時には解体されて更地でしたが、
元の場所から僅かに北寄りに新しい駅舎が出来てました。
今年10月に富岡ー竜田駅間が6年7ヶ月ぶりに運転再開され、
これで常磐線の不通区間は富岡ー浪江駅間の20.8キロのみとなったようです。


浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22015599.jpg
浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22015945.jpg
浪江町給餌同行 【その2】_c0009934_22020398.jpg
▲富岡駅近くで、こんなに気合いの入ったXmasイルミネーションのお宅が☆

ご主人は富岡で仕事されてるのでここで独り住まい。
家族はいわきにお住まいで、週末だけ帰って来るのだそうです。
私達も歓迎されましたが(熱い珈琲もご馳走になって^^)
せっかくの力作、多くの方に見て貰いたい筈です。
29日までとか。うわ、もう29日になってしまった…

現在の富岡町の帰還率は2.3%、浪江町は2.0%…

さすがの浜通り。郡山と違って温暖で風も冷たくなくて
こんなに良いところから避難をせざるを得なかった浜通りの人たちの悔しさ…
そのことにずっと思いを巡らせながらの一日でした。


今年も残り僅かとなりました。
稚拙で更新頻度のめちゃくちゃ低いこのブログ。
来て下さった方に感謝です。有難うございました!
どうぞよいお年をお迎え下さい^_^



by peau0320 | 2017-12-29 00:11 | 被災地給餌同行


<< 葛尾村&浪江町の給餌同行      浪江町給餌同行 【その1】 >>